第30回MPCJ音楽賞授賞式

クラシック

独奏・独唱部門

「小倉貴久子(フォルテピアノ)」
小倉貴久子 様

受賞者この度は、このような素晴らしい賞をいただきまして、とても喜びと感動に満ち溢れております。留学中のオランダで知り合ったフォルテピアノを通して、この楽器の素晴らしさ、そして作曲家たちがそれを前に自分が作曲をするときのインスピレーションをもった、そのような楽器たちの魅力をもっともっと伝えていきたい。そして私自身が知っていきたい。そういう思いを強くもって活動を続けてまいりました。でもその活動は、大変地味なものであったという風に私は思っておりましたので、このような晴れやかなステージで表彰していただけるというのは、もう本当に驚いております。でもこのように皆さまに注目していただいたということは、今後しっかり活動をしていきなさいという、そういう気持ちをいっぱいにもってやるということが大切だという風に感じております。これからまだまだ音楽活動が続きますけれども、またこれを第一歩、スタートラインという風にとらえまして、新たにいろいろな活動をしていきたいと思います。今日は本当にありがとうございました。

室内楽・合唱部門賞

「鈴木雅明(音楽監督・指揮)/バッハ・コレギウム・ジャパン(合唱&管弦楽)」
鈴木優人 様

受賞者この度はミュージック・ペンクラブ・ジャパン創立50年、そしてミュージック・ペンクラブ音楽賞30周年を迎えられ、本当におめでとうございます。またその重要な機会に、このような栄えある賞をいただきまして、誠に光栄と思っております。ただ今ご紹介にありました父・鈴木雅明はあいにく全米バッハ協会での講演のためニューヨークにおりまして、その父も心から感謝申しあげたいと申しておりました。僭越ながら父に代わりましてご挨拶をさせていただきます。2000年に「J.S.バッハ:カンタータ全集Vol.1&Vol.2」に対して第13回ミュージック・ペンクラブ音楽賞「録音・録画作品賞」をいただきましたが、今回は、オリジナル楽器によりJ.S.バッハの声楽作品のすべてを録音したということに対し、このような評価をいただきまして、私自身も、演奏者として、また録音に携わってきた身としても、大変光栄に思います。これから先もJ.S.バッハのみならず、今年はライプツィヒの地で、J.S.バッハのカンタータやメンデルスゾーンの「エリア」といった大きな作品にも取り組んでまいりますので、引き続きご支援、ご鞭撻をいただければと思います。本日は誠にありがとうございました。

オペラ・オーケストラ部門

「シルヴァン・カンブルラン(指揮)/読売日本交響楽団(管弦楽)」
公益財団法人 読売日本交響楽団事務局長
津村 浩 様

受賞者事務局長の津村と申します。今日はこういう歴史のある賞をいただいて本当にありがとうございました。授賞理由の最後に書いてありますし、表彰状の中にもありましたが「2017年のクラシック音楽界における最大の成果、そして最大の事件のひとつとして記憶されるべき公演であった。」とのこの上ない最大の評価をいただいて、私自身、楽団もそうですけれども、本当に感激しております。それとマエストロのカンブルランさんにもいただいたということで、今月6公演、4月に行って、この席に来られればよかったんですが、金曜日に帰ってしまいまして、その時にコメントをいただいたので、代読をいたします。
「この受賞を大変名誉に思い、この上ない喜びを感じております。オーケストラと励んできた9年間がこの結果をもたらせてくれました。これからさらに飛躍を続け、幅広いレパートリーで聴衆の皆さまを幸せにしていきたいです。」と言っております。
手前味噌ですが、読響の練習所が今月、神奈川県の川崎市黒川というところにできました。震災以来、読売ランドにあったのですが、3年半ちょっと掛かりましたが、オープンしました。この賞を励みに、また黒川の地での新しい音を重ねながら今後とも頑張っていきますので、よろしくご支援の程をお願い致します。今日はありがとうございました。

現代音楽部門賞

「西川竜太(合唱指揮者)」
西川竜太 様

受賞者この度はありがとうございます。受賞のご連絡をいただいた時に思いましたのは、私の音楽活動を気にかけていただいているのだということに正直驚きました。表彰状の文章の中にもありましたが、160の作品を、これまで約15~6年かけて初演してきました。その8割以上が私からの委嘱によるものです。これまでの概念にとらわれない新しい在り方で、どのように魅力的な音楽を作っていったらいいかという問いかけに、たくさんの作曲家の方が答えてくださり、多くの新作が誕生してきました。そのすべてが、再演されて広まっていくに値する素晴らしい作品ばかりだと、自負しております。地味な活動ではありますが、今後とも気にかけていただける機会がありましたら、これほど幸いなことはありません。今回の受賞を励みに更なる充実を目指して活動を続けていきたいと思います。本日はありがとうございました。

研究・評論部門

「神部 智著『シベリウス』」(音楽之友社)
神部 智 様

受賞者この度はこのような素晴らしい賞をいただきまして本当にありがとうございます。私はジャン・シベリウスというフィンランドの作曲家の研究をコツコツとしております。これまでシベリウスに関する著作は3冊出版いたしました。この3冊目で、本当に思いがけず、これを評価していただいて大変驚いております。この著書を出版していただく機会を頂戴した音楽之友社さんに本当に感謝しております。シベリウスの音楽といいますと、演奏される機会は比較的多いです。実は出版や研究という点になると、中々まだまだこれからだという状態なのです。今後、シベリウス研究や出版が、ますます発展していけばいいなと思っております。そうした中、クラシック音楽、世界でもこういう地味な分野、目立たない分野に光を当てていただいたことが、本当にうれしいです。感謝したいと思います。この賞の受賞をひとつの励みにして、今後ますます精進していきたいと思います。本日は本当にありがとうございました。

功労賞

「三宅幸夫(音楽評論)」
三宅泰子 様

受賞者この度はこのような立派な賞を頂戴しまして、亡き主人に代わりまして心から御礼申しあげます。ありがとうございます。主人はもともと大学の理工学部で学んでおりましたが、どうしても音楽の道に進みたいということで、180度方向転換をいたしまして、ドイツで学んで、テューピンゲン大学を修了したのち、大学に勤める傍ら研究者として、読売新聞をはじめ、その他の媒体で批評を書かせていただくなど、いろいろな評論活動を続けてまいりました。今日その活動を皆様にお認めいただきましたこと、本人に代わりまして心より御礼申しあげます。ありがとうございました。

特別賞

「ラドミル・エリシュカ(指揮)/札幌交響楽団(管弦楽)」
公益財団法人 札幌交響楽団総務営業部次長
中川 広一 様

受賞者札幌交響楽団の中川と申します。本日、第30回ミュージックペンクラブ音楽賞クラシック部門特別賞を名誉指揮者ラドミル・エリシュカと共に受賞することができまして、札幌交響楽団を代表しまして、ひと言御礼の言葉とごあいさつを申し上げます。ミュージック・ペンクラブ・ジャパンに加盟される音楽評論家、研究者、有識者の皆さまが純粋に音楽的な見地から自主的に選ぶという、この栄えある賞を賜り、また私どもの愛するエリシュカとの共同作業を認めてくださいましたことは、誠に喜びに堪えません。私ども札幌交響楽団は、エリシュカと初共演の2006年12月から最後の来日になりました昨年2017年10月28日まで、11年足らずの間に42公演を共にしまして、ドヴォルザーク、ヤナーチェク、スメタナなどチェコの音楽とチャイコフスキー、ブラームスの交響曲などを中心に取り組み、CDは現在までに14タイトルを発表しました。今回受賞できましたことは、これまでのエリシュカとの演奏、録音が高く評価されたものであり、これにすぐる栄誉はありません。ここに厚く御礼を申し上げる次第です。現在の世界のクラシック音楽界は国際性が進み、いい意味でのローカリズムが失われつつあると思います。エリシュカは長年活動の場がチェコ国内に留まっていたおかげで、古き良きチェコのオーケストラ演奏の伝統を守り続けてきました。その伝統をこの10年余りの間、エリシュカは札幌交響楽団に伝授することに力を入れてくれました。私どもはエリシュカから学んだことを今後も演奏活動に生かしていく所存です。今回の栄誉を心の励みといたしまして、なお一層の精進を重ね、私どもの演奏活動を通じてひとりでも多くの方が音楽に親しみ、心豊かになれるよう引き続き尽力する覚悟でございます。本日は誠にありがとうございました。

「ラドミル・エリシュカ(指揮)/札幌交響楽団(管弦楽)」
オフィスブロウチェク代表 梶吉久美子 様

  (ラドミル・エリシュカ様の受賞コメントを代読)

受賞者ミュージック・ペンクラブ・ジャパンの皆様、この度は私と札幌交響楽団の演奏活動に対して素晴らしい賞をいただき、心より感謝申しあげます。70歳を過ぎて初めて来日した私ですが、極東の地で、これほどのご評価をいただけるとは、当時は想像もつきませんでした。札幌交響楽団とは、11年ものあいだ共演を続けてまいりました。楽団員の皆さんは、私の音楽的要求の一つ一つに、いつも真摯に向き合って理解してくれました。人間的にも深く結ばれた関係の彼らとの演奏会はすべてが忘れ難く、また多くのCDに残すことができました。指揮者としてこれ以上の喜びはありません。いつも熱心に温かく耳を傾けてくださった聴衆の皆様にも感謝の気持ちでいっぱいです。そして、さまざまな評論家の方々に演奏評を書いていただきましたが、その的確さ、心眼の深さに驚き、敬服いたしました。あらためて御礼申しあげます。
健康上の理由で昨年の10月が最後の日本公演となりました。今でも日本、とりわけ札幌を恋しく思っております。日本での演奏会の日は、私にとっても、また妻にとっても、まさに夢のようでありました。日本のクラシック音楽界とミュージック・ペンクラブ・ジャパンのますますのご発展をお祈り申しあげます。 心からのご挨拶とともに。
札幌交響楽団名誉指揮者 ラドミル・エリシュカ

「有田正広(フルート・指揮)」
有田正広 様

受賞者栄えある賞をいただきまして大変喜んでおります、と同時に驚いております。ミュージック・ペンクラブ・ジャパンの長い歴史の中で、一介のフルーティストにここまで注目してくださっていたことを非常に嬉しく思っております。僕は大学を出て留学し、もどってきました。それが1978年のことですから、ちょうど40年になります。僕は笛吹きですから、フルートを通して、この40年間、ただひたすら好きな音楽だけを奏でてきました。学校でも教えることができ、いろいろな音楽に興味があったので、あれもやりたい、これもやりたいと、やりたいことが山のようにありました。それでオーケストラを作ったりもしました。そのオーケストラの活動は昨年止めましたが、そろそろ良い歳になってきたので、この辺で自分自身のことをもう少し見直そうという気になってきました。たびたび生徒に言っているのですが、興味のあることだけ一生懸命やる、1回切りの人生を悔いのないよう、音楽家でしたら音楽のみをやればいいという、そんな生き方を自分はやってきたつもりですし、それを生徒にも見せてきました。ある時、自分の興味がどのくらいあるのだろうかといろいろ考えてみました。そしたら音楽は奥深くまだまだ知らないことが沢山ある。やればやる程に知りたくなることが見えてきます。これはちょっとまずいなと。全部やるためにはあと500年は欲しい(笑)。500年生きられるかどうかわかりませんが、もうちょっと生きて、好きな音楽のために自分の人生をかけていきたい。そして多くの音楽愛好家の方々に音楽の喜びと素晴らしさと感動を伝え続けることができたら本望です。これからもよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

ポピュラー

最優秀作品賞

async/坂本龍一
エイベックス・デジタル株式会社 代表取締役社長
エイベックス・エンタテインメント株式会社commmons(コモンズ)レーベル
エグゼクティブ若泉久央 様

受賞者坂本はもう30年近くニューヨークに在住しておりまして、今日はどうしても先に入っていた仕事がありまして来られないのですが、ぜひ授賞式に出席してくださいという命を受けて私がまいりました。今回、賞を頂きました「async」は、坂本が8年ぶりに作りましたオリジナル・アルバムです。2014年に癌を発症し、2年ほど休んで治療に専念していたのですが、その間にいろいろなことを考えたのだと思います。そして“アルバムも何枚作れるかわからない。だから好きなことを好きなようにやらせてくれ・・”と。スタッフももちろん“世の中に残るような品を・・”と言って作ってもらいました。出来上がったら出来上がったで“ほんとに素晴らしいものが出来て、好き過ぎて他の人に聴かせたくないので、発売するまで音源を公開しないでくれ・・”と。そんな本人にとってもスタッフにとっても思い入れの強い作品に賞を頂き、心よりお礼申し上げます。本人からもメッセージを預かりましたので代読させていただきます。
「ありがとうございます。ポピュラー部門で賞を頂いたということですが、このように難しくて一般受けしない音楽を選んでいただいて、最初に話を聞いたときはウソじゃないかと思いました。どのような経緯で受賞に至ったのか、とても興味をそそられます。栄誉ある会と歴史ある皆様に僕の音楽を認めて頂いたことを、心より感謝いたします。 坂本龍一」

作品企画賞

One Step Festival
アイドル・ジャパン・レコード代表取締役 高橋廣行 様

受賞者このような素晴らしい賞をいただき、ありがとうございます。私が1970年代の音源・映像の復活を始めてから20年くらいが経ちますが、初めの頃はテイチクの徳田さん、そして今回のアルバムはディスクユニオンの金野さんの協力でまとめることができました。こういう過去の作品の復刻というのは、古墳の発掘のように地味な作業なのですが、そこに光を当てていただき、感謝しております。シンガーでもある私のパートナーと一緒に、この席に参加できてたいへん嬉しく思います。どうもありがとうございました。

イベント企画賞

上原ひろみ×エドマール・カスタネーダ
ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス 岡本洋一 様

受賞者このたびは、このような栄えある賞をいただきまして、ありがとうございます。上原は今年デビュー15年になるのですが、ミュージック・ペンクラブでは25年くらい前、まだ上原が小学生か中学生だった頃から、鈴木会長にはイベントで北京まで連れて行っていただいたこともありました。以来、ずっと応援していただいていることに、あらためてお礼申し上げます。上原もエドマール・カスタネーダもニューヨーク在住ということで、上原からはメッセージをもらっていますので代読させて頂きたいと思います。
「このたびはイベント企画賞をエドマール・カスタネーダと共に頂き、ありがとうございます。エドマールとのライブは毎日が冒険であり、ツアーで自分たちがベストと思うパフォーマンスするということは、天竺をめざす西遊記のようでした。これからもひとつひとつの演奏を大切に精進してまいります 上原ひろみ」

新人賞

tea
Tea 様

受賞者私はインド生まれで、日本にやってきて2年なので、日本語はまだ上手く話せないのですが、まずミュージックペンクラブ・ジャパンに、とても有難う!と言いたいです。そしてプロデューサーの三田晴夫さん、フリーキック・スタジオの時枝一博さん、私の夫であり、アレンジャー、コ・リーダーの時枝弘さん、そして皆様に感謝しています。とてもありがとうございます。

著作出版物賞

「中村とうよう、音楽評論家の時代」田中勝則 著
田中勝則 様

受賞者本日は、このような素晴らしい賞をいただき、どうもありがとうございました。賞などに縁のない人生を送ってきたもので恐縮しております。中村とうようさんとは、ちょうど30年のお付き合いになりました。さんざん怒られまして、絶縁されたこともあったのですか、それを含めて知り合って良かったと思っています。ミュージック・ペンクラブは今年で50周年ですが、中村とうようさんは創立メンバーのひとりでもあったと思います。すぐに“ミュージック・マガジン”を創刊されて編集者となったので退会されましたが、50年経って私が書いた評伝でこのような賞を頂いたのも何かのご縁ではないかと、とてもありがたい話だと、とうようさんも思っているんじゃあないかと思います。ここへ来て思い出したのですが、この会場から1分程のところに、とうようさんは1986年から2002年頃までお住まいになっていました。当時、私も新年会などに伺い、へべれけになって怒られたりもしましたが、そんな思い出ある場所で賞を頂けるのも感慨深いものがあります。どうもありがとうございました。

功労賞

かまやつひろし
森山良子 様

(ご本人ご逝去のため、代理として。ご本人の従妹にあたります)

受賞者ほんとうに今日はありがとうございます。本人が来るのがいちばん良かったのですけれど、止むを得ない事情がありまして・・(笑)。つい先日、納骨を済ませたばかりでございますけれど、まだ私どもの周りにはムッシュの香りがムンムン漂っております。本当に音楽の好きな人であったと、つくづく思っています。78才で他界しましたけれども、もう60年以上にわたって音楽に携わり、子供の頃からジャズやカントリー・アンド・ウェスタン、ロック、グループ・サウンズ。そして最後の最後まで、若い方たちと一緒に“Life is Groove”というバンドを組んで、現役で音楽を通してこられた。そして音楽を通じて、時代の新しいものは何なんだろうということを、常に深く考えていた人でした。こんなにいつも音楽のことを考えている人を、私はあまり他に知りません。私も音楽をやっておりますけれども、彼がいつも先を歩いてくれていた。素晴らしい仲間たち、素晴らしい音楽、素晴らしいファッション、素晴らしい食べもの。何でも素敵なものはムッシュから受け継ぎ、教えてもらいました。私はこの賞を“ほらっ”ってムッシュに見せたい。そんな思いでいっぱいですけれども、きっとムッシュもゆっくりと安らぎながら、今を見すえつつ、そして賞を頂いたことを心から喜んでいると思います。ほんとうにありがとうございます。

特別賞

ボニージャックス
玉田元康(バス) 様

受賞者はからずも、こんなに素晴らしい賞をいただけるということで、びっくりもし、もちろんとても喜んでいます。振り返れば、今年で60年。我々がスタートした昭和33年は、じつはコーラス・ブームともいわれて、いろんなグループが生まれたんですね。長男坊がダーク・ダックス、次男坊がデューク・エイセス、そして我々が三男坊ということで仲良くやってきたんですが、ダークが幕を下ろし、昨年暮れにデューク・エイセスも身を引くということで、何かコメントをと聞かれると“もったいない!”とコメントを贈ったのですが・・。我々は偉そうに生涯現役などとうそぶいて、皆さんから引っ込め!と言われても、まだまだやるかな。いつまで続くかわかりませんが、まだまだ頑張るつもりでおります。この賞がそれを後押ししてくれるものと解釈して、頑張るつもりです。ありがとうございました。

オーディオ

技術開発賞

トップウイング株式会社 代表取締役佐々木原幸一 様

受賞者栄えある賞をありがとうございます。私は大学を出てからずっとオーディオの仕事をしてきて、今年66歳になります。昨今は世界中から高級オーディオ製品を輸入しておりますが、ミュンヘンのオーディオショウに出向きますと、近年はCDプレーヤーがほとんどないんですね。大半のブースがレコードでデモをしている状況です。そんなことから、日本のオーディオ技術で世界的に見て最も優れているフォノカートリッジを、現代の最新素材で作り直したらどんな音が出るんだろうということに挑戦してみたものが今回の受賞作です。そうした私の熱い思いを評価していただいたとものと理解しております。エンジニアたちも高齢になり、枯渇しそうになってきていることに危機感を感じ、何とか頑張って1年で開発いたしました。現在は青龍、朱雀の2機種を発売しております。朱雀は世界でも最も高価なカートリッジのひとつで、自分が開発に携わった製品が世界中で評価されるということは本当に嬉しいことです。どうもありがとうございました。

優秀録音賞

株式会社オクタヴィア・レコード 取締役副社長小野 浩 様

受賞者録音賞をいただきましてありがとうございます。ミュージックペンクラブの賞は、最初に朝比奈先生のブルックナーの交響曲第8番で頂戴した2002年以降、これで通算6度目になります。先ほどもヨーロッパではアナログが主流というお話しがありましたが、毎回思うのは、アナログの音を超えるデジタル録音を常々目指しているものの、悲しいかなアナログに勝てない部分というのがまだたくさんあることです。最近はスペック競争になってきており、我々もDSD録音を慣行しておりま すが、ハイスペックで録音すれば必ずいいものができるのかというと、決してそうではありません。弊社代表の録音技師の江崎も、前回よりもいいもの、よりよい音を録るために録音現場ではいつも苦労していると申しております。今日も本来ならば江崎がこちらに来れれば良かったのですが、マスタリングのスケジュールに追われ、私が代わりに伺った次第です。こうした賞を頂きまして、ひとつの励み、次の作品への糧として、今後もより良い作品を世に出していきたいと考えております。本日はありがとうございました。

特別賞

アキュフェーズ株式会社 会長齋藤重正 様

受賞者素晴らしい賞をどうもありがとうございます。しかも本日参りました社員全員を壇上に上げて頂きまして、たいへん光栄に存じます。実は5年前の第25回でも特別賞を頂きました。先程伺いましたら、ミュージックペンクラブが50周年、1968年の発足とのことで、実は私も1968年という年に強い思い入れがございます。弊社が少なくとも第一歩を踏み出した記念すべき年でございまして、私にとっても大きな節目の50年と感じております。私は数年前に会長職に退きましたが、創業の精神である、いいものを世界に広めていきたい、オーディオという素晴らしい文化を高いレベルで世界に紹介したいという思いをまだまだ貫いていきたいと思っております。こうして壇に上げさせて頂いた社長、副社長も同じ考えですので、今後永遠にアキュフェーズの商品を皆さんにお届けできることをここにお誓い申し上げます。この賞を頂きまして、さらに心を引き締め、いい製品の開発に邁進していく所存であります。今日はどうもありがとうございました。

功労賞

 

貝山知弘(貝山弘子 様)

受賞者夫・貝山知弘は、この1月7日、84歳で看取りました。音と映像を愛した84年の人生でございました。その最後の締め括りにこうして表彰を頂いたことを本人もとても喜んでいると思います。夫は私に生前「洒脱な喪主挨拶を」と申しておりました。告別式でそれは叶いませんでしたけれども、あまり畏まらずに彼のことを少しお話させていただきたいと思います。彼は鎌倉のお寺の次男として昭和8年に生まれました。義理の父は、貝山と違って美男子でありました。境内にお住まいだったヴァイオリニストが開く演奏会や鎌倉落語の会といった文化の中で育ちまして、早々に止めてしまったようですが、3歳上の兄と共にヴァイオリンの稽古もさせられていたそうでございます。後に早稲田大学に入った頃には、もっといい音でジャズを聴きたいという思いで、自分でラジオを製作し、その頃が一番年収があったと後年申しておりました。卒業して東宝に入社し、映画プロデューサーを目指しておりましたが、映画音楽に対する並々ならぬ思い入れがあったのか、今も遺品の整理をしておりますと、古くは古関裕而さん、伊福部昭さん、武満徹さん、黛敏郎さんらとお付き合いさせて頂いた思い出が蘇ります。オーディオの評論をするようになりましてもう4,50年経つのかと思いますけれど、昼夜逆転の生活をしている際に、私が「お日様が出ている時にすれば、完全徹夜なんてしなくて済むのに」と申しますと、「そういうものじゃない」といい、文章ひとつに止まらず、あらゆるものに熱意を惜しまない貝山でした。亡くなる時もお許しをいただいて、大好きだったヒラリー・ハーンやブルックナーの音楽を病室で聴きながら息を引き取りました。今日もお世話になった方々がたくさんお見えになっていらっしゃいますが、そうした方々のお陰で望んでいた生涯現役を貫くことができました。40年一緒に居りまして、お互いに影響し合うことの少ない二人でしたが、帽子は私が彼に与えた数少ない影響のひとつかと思います。ミュージックペンクラブの用件で帽子を被って出掛ける際、私が「ジェントルマンは室内で帽子をとるものですよ」と申しましたが、それを多分彼は実行しなかったと思います。音を愛して、映像を愛して、駆け抜けた人生の最後にミュージックペンクラブの会長として、些かでも皆様のお役に立てたことを本当に嬉しく思います。最後に素晴らしい締め括りの賞をいただき、本当に感謝申し上げます。ありがとうございました。